金沢城の西側の廓(くるわ)に位置する「鼠多門(ねずみたもん)」と「鼠多門橋」が約140年ぶりに復活しました。
金沢城公園から尾山神社、そして長町武家屋敷跡界わいまで回遊できるようになり、城下町めぐる新たなルートが誕生しました。
Q.いつ建てられた?
A.鼠多門の創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期には存在していたことが絵図等で確認されています。城内の多くの建造物が失われた1759(宝暦9)年の大火でも焼失を免れました。
Q.いつ、どうして無くなった?
A.鼠多門は明治維新後も存在していましたが、1884(明治17)年に火災により焼失、周囲の水堀も埋め立てられ面影は失われていました。鼠多門橋は1877(明治10)年に老朽化のため撤去されました。
Q.名前の由来は?
A.「建設時に土の中から鼠が出てきたから」、「壁の色が鼠色であったから」という2説あったことが文献に記されていました。黒漆喰(しっくい)により壁の色が全体的に鼠色に近い色に見えることから、後者の方が信憑性が高いのではないかといわれています。
Q.どんな特徴?
A.鼠多門は黒い海鼠漆喰(なまこじっくい)で仕上げられています。他の門には見られないばかりか、城郭建築としては全国的にも例を見ないといわれています。鼠多門橋は城内最大規模の木橋で、玉泉院丸と金谷出丸を隔てる水堀に架かっていました。
鼠多門には本来あるべきアレがない?!
近世城郭としては異例?!
江戸前期の姿を復元した城郭としては異例の、櫓部分に「石落し」を備えていません。江戸中期(1788年)再建の石川門にも当初「石落し」がありました(のち塞がれました)。
絵図を忠実に再現?!
「石落し」がないのは、絵図に描かれていなかったためですが、絵図には記されていない二条城東大手門に「石落し」が現存していることなどから類推すると、本来は存在していたかもしれません。
参考文献「金沢城調査研究20年の歩みとこれから」 シンポジウム配布冊子(石川県金沢城調査研究所 2021年)
新しいゴールデンルート!加賀百万石回遊ルート誕生
鼠多門・鼠多門橋の完成により、長町武家屋敷跡から尾山神社、金沢城・兼六園、そして本多の森公園へと続く新しい観光ルート「加賀百万石回遊ルート」が誕生しました。尾山神社前商店街もそのルート上に位置しています。