惣構は城下町を囲い込んだ堀や土居で、金沢には内・外の惣構が二重に巡っています。
堀は深いところで5m、土居は最大9mの高さがありました。
前田vs徳川?! 臨戦態勢の証
内惣構は、1599(慶長4)年、前田利家の死後に謀反の疑いをかけられた2代・利長が、加賀征伐を画策した徳川家康に対抗するために、高山右近に命じて造らせました。外惣構は、1610(慶長15)年に3代・利常が家臣の篠原出羽守一孝に命じて造らせたといわれています。
尾山神社外苑(緑地)
明治以降、宅地や道路に変貌
明治以降、防御機能が不要となったため、土居は崩され、堀は埋め立てられ、宅地や道路になりました。堀は幅が狭められて用水として使われました。尾山神社界わいも神社外苑や旧制四高の敷地となりました。
尾山神社南側
尾山神社正面前